98年2月4日付け「テイルピース、グレゴリーの休日」の楽曲解説以来、とんとごぶさたしておりました。その後、名古屋・大阪ツアー、レコーディング、ファーストCD発表と、結構あわただしくしておりました。家具屋の方も昨年の消費税アップ以降の不景気続きで、リストラ(と言っても有給アシスタントをお願いするのを減らした程度)したところ、人手不足でへろへろ。長男はバイオリンを習い始めて、先生に「最初のうちは親が付き添ってください」と言われ、仕事場をぬけだして30分のレッスンにつきあったり、次男は認可保育園に入ることができて、保育料が安くなったのは良いが、送り迎えや、着替え、おむつなどの準備が大変になった。
以上で言い訳を終了させていただき、さっそく本題に入っていこう。
我々CotuCotuのデビューCDアルバム“Cellorism-1”の曲タイトル表記では英語になっていて、なんのこっちゃと思われた方も多かったでしょう。作曲した時点ではべつに日本語でも英語でもなく、単なるイメージとして「ふらふらよろよろ歩いている蟹ないしは人」があっただけで、さて、タイトルをつけようと思った時に、「CotuCotuもこれからは世界を相手にしていかねばなるまい」と思ってしまい、日英両方のタイトルがついた。
曲にタイトルをつけると言うのは、音楽、または音楽の持つ抽象的なイメージに言葉というロジカルなものをくっつけるという行為なので、非常に難しい。音楽やイメージにぴったりの言葉などというものはそう簡単には見つからない。いきおい言葉自体が持つ意味のブレ、語感といったものをうまく利用させてもらって、少しタイトルの「意味」をふくらますという手法をとる場合が多い。つまり曲とタイトルの関係をアバウトにつなげるのである。その上で、ことば的な具体性を持たせる。さらに英語なりなんなりの他言語でタイトルをつけることで、意味の2重性やブレを大きくすることができる。こんな感じで「退廃的な蟹の歩み/Walking of Decadent Cancer」というタイトルはこの曲をゆるやかに、つつみこむようにつけられている。
Cancerとは蟹の事であるが、「癌(がん)」という意味もある。そして同時に、星座の「かに座」のことでもある。私の誕生日は7月4日で、「かに座」である。
江戸時代、文化文政期に活躍し、「雨月物語」「春雨物語」の作者として有名な上田秋成は、自分の事を「無腸」と称することがあったという。「無腸」(無調じゃないよ)とは蟹の事であり、生まれつきか、小さいころの病気の影響で手の指に障害を持っていた彼は、蟹のはさみに自らの手をなぞらえて、自嘲的にそう称したという。
Decadentは退廃的なという意味と衰微する(おとろえる)という意味がある。
専門的な作曲家の中にはこうしたタイトルをよしとしない人もいる。音楽は音楽のみによって語られるもので、それ以外の手段を用いて語るべきでないという考え方である。個人的にはそうした音楽も大好きで、ロマン派より前のいわゆる絶対音楽なんか良いなあと思うのだが、いざ曲を作って、うそでも(便宜的にでも)タイトルをつけようとすると、どの曲もみんな「3つのチェロのためのコンポジション」とか「メタモルフォーゼ、3人のチェロ奏者のための「」とかいうタイトルになってしまって日常的に不便である。要するに区別がつけにくい。以前やっていたバンドでは、新しい曲ができるたびに「新曲」「今度の新曲」「超新曲A」「新新曲」などと呼んでいて訳がわからなくなっていた。アルバムに収録する時点でむりやりタイトルをつけるから、アルバムを聞いてくれた人と曲の話をする時にピンと来なくてまた困った。
さて、この曲は佐藤が低音でのそのそと旋律を弾き、三木と坂本が解決するような、しないような和音をつけていくA部分と、三木が旋律を弾き、佐藤、坂本が伴奏にまわるB部分とが交互に出てくるという単純な作りになっている。単純なだけに、どう聞かせるかいろいろくふうをして来た曲である。
演奏面では、のそのそ加減をどんな具合にするかとか、2回目のAは三木、坂本の和音を2分音符にしてみるとか(長く弾きのばすということです)、BからAにもどる直前にのびきったテンポをムリムリに引きもどすとか。
レコーディングでは電気的処理で音響効果をつけられるので、超モノラルラジオトーンと湿り気たっぷりのエコーサウンドを交互にかけたりして楽しんだものです。(手作業録音だったので、けっこう大変だった)
変わった音をとりたくて、オマちゃんの発案で「コーヒーポット」録音(3人のまん中においたコーヒーポットの中の音を録音する)をしてみたり、また、何回か録るうちに、「ロストロポーヴィチの教え」をうけることができたりして、音楽というもののなんと自在なることかなと深い感銘をうけたのでした。
コーヒーポットについては、スゴすぎて使えなかったのだけど、日常、我々の身の回りに何気なくある物の内側で、やはり日常的にくり返されているであろうスゴすぎる出来事にアゼンとしました。(もしあなたがコーヒーポットの中で生活する生き物だったら、毎日がこんなスゴすぎる日々なのです!)
今世紀最大のチェロの巨匠、ムスティラフ・ロストロポーヴィッチは、我々のやっている偉大な、しかしささやかな演奏、録音に際しても教えをたれることができた。そのことは彼にも、我々にも、そしてすべてのリスナーに対しても幸福な出来事であり、このゆたかに解放された財産を我々も敬意を持って取り扱わなければならない。今回我々が採用した「ロストロポーヴィッチの教え」も、彼が今まで数々の名曲、名演奏に触れたり、たずさわったりして来た経験から演繹された一つの果実である。果実を食べるにしろ、料理するにしろ、打ち砕くにしろ、我々がこの財産の正当な継承者になるために必要なのは、心からの尊敬の気持ちである。
さて、アルバムでのタイトル表記に英語が採用された理由(わけ)。低予算で高品質のアルバムジャケットを作るために、佐藤君がゴム印を手彫りで作ってくれた。ジャケットの表・裏にあれだけの文字を彫り込むことは並たいていの事ではない。その上「日本語じゃなきゃヤダ!」などと言って「退廃的」とか「蟹」なんて漢字を入れてくれとは決して言えなかったのである。
(98.7.8 三木黄太)