「チャウシェスクの逆襲」について

 ルーマニアの大統領、ニコラエ・チャウシェスクがヘリコプターの不時着で捕えられ、即席裁判で死刑を宣告され、エレナ夫人とともに銃殺されたのは、確か、私が結婚した 1989年の暮れだったと思う。その1〜2日後に家内に連れられてわが家にやってきた〈ゆがんだ〉猫のぬいぐるみがチャウシェである。その後94年11月、わが家で火災があり、チャウシェがその親友のアリちゃん(うちに来てから知り合った)とともに姿を消すまでの約5年間がチャウシェの贖罪の日々である。チャウシェがやってきてから約1年後に、私たち夫婦に長男が誕生した。世間では幼児虐待が問題になったりしていたが、幼児による虐待もまた苛烈を究め、そのうえ問題にも話題にもならない。噛みつかれ、よだれをふかれ、目玉をえぐられたり、縫い目を裂かれたりしながら、ただただなすがままの毎日であった。ある日、私が帰宅すると、チャウシェが白く汚れていた。長男が、ミルクゲロを吐きかけた後、放置されたのだった。私が風呂場で洗って、脱水機にかけたのだが、もう良い頃かと思って脱水機の蓋をあけると、勢い良く回っている脱水漕の中でチャウシェが目を回していた。一国の大統領、独裁者と呼ばれた人物の末路としては、哀れなものである。

 さて、チャウシェスクなき後のルーマニアはどうなったのだろうか。自由選挙を実施して民主的な政治が始められるまでの暫定的機関であったはずの救国戦線は、チャウシェスク処刑の僅か1ヵ月後には市民や学生のデモ隊に対して武装した兵士や戦車を差し向け、工場や炭鉱の労働者を動員して野党の本部事務所を襲撃させた。少数民族であるハンガリー人とルーマニア人が衝突して多数の死傷者が出る。これを機に、情報局が設置され、旧治安警察が多数これに入る。イリエスク率いる救国戦線は、メディアを独占した状態で選挙を行い、当然のように圧勝する。都合の悪いことはすべてチャウシェスクに押し付けて、当のチャウシェスクは逮捕後数日の内に、さっさと処刑してしまっているので、真相の究明はできない......国民のチャウシェスクに対する憎悪を利用して、巧みに演出された革命劇のように思える。そして、独裁者と治安警察による支配というわかりやすい構図から、自らの意思で選んだ(と思わされている)為政者による統治というわかりにくい構図へと移行しているところが、より事態が深刻化しているように思える。

 ところで、チャウシェスクの逮捕、即席裁判、処刑をメディアはどう伝えたか、そしてあなたはどう受け取ったか。なんらの洞察も、反省もなく、単に共産主義世界の崩壊のお祭り騒ぎのひとこまとして伝えられ、受け取られているとしたら、1989年12月の時点でチャウシェスクの逆襲は、すでに始まっていたことになる。そして94年11月以来アリちゃんとともに行方をくらましているチャウシェが今頃、どこで何をしているかが非常に気掛かりである。

 さて、楽曲の解説に移ろう。この楽曲は、初演の際、チェロ3本とバイオリン、モノフォニックシンセサイザーの5声部で構成されていたものを、チェロ3本のみで演奏するように編曲したもので、その結果、各声部には重音が多用され、いくつかのカウンターメロディーは整理されて、なくなっている。次に、この楽曲を具体的に見て行こう。

 

氈i1〜16小節)4分の4拍子、調号なし。ルーマニアの革命前夜、水面下で高まる不穏な雰囲気を表わす和音は、奇妙な積み上げ方をした白玉(全音符)で奏せられる。

(17〜19小節)4分の7拍子、♭ひとつ。佐藤のリズムキープの上で、三木、坂本が補完し合うようなフレーズを繰り返す。リピートがあるため6小節分の長さがある。

。(20〜23小節)4分の6拍子、♭ふたつ。坂本が8分音符でリズムキープ、三木と佐藤がオクターブユニゾンで、頭やすみのの2拍3連符から始まる勇ましいフレーズを演奏する。リピートがあるため、8小節分の長さがある。以上の2・3の部分は、革命のきっかけとなったティミショアラでの市民の抗議行動と治安部隊の発砲事件に相当する。日付としては1989年12月15日〜18日に当たる。

「(24〜27小節)4分の5拍子、♭ふたつ。リピートがあるので、長さは8小節分。三木が8分音符でリズムキープ、佐藤は下降する音形で事態の収拾を試みたチャウシェスクのテレビ演説を表現し、上行する音形の坂本は、たかまる一方の市民の不満と不穏な雰囲気を表わしている。日付は12月20日。

」(28〜29小節)4分の6拍子♭三つ。リピートがあるので、長さは4小節分。短いシーケンスではあるが、曲は一つの頂点を迎える。12月21日ブカレストの共和国広場で行われたチャウシェスクの演説に相当する。この演説の模様は、テレビでよく報道されていたので、ご覧になった方も多いだろう。市民から沸き上がる罵倒のうねりに唖然としたチャウシェスクは、演説を中止して早々に引き上げる。

、(30〜37小節)4分の4拍子、前半4小節は調号なし。後半4小節は♭三つ。リピートがあるので16小節分の長さ。全員が8分音符のキザミとアルペジオになり、後半転調することによって各人の音の意味を微妙に変化させながら徐々に加速していく。12月22日戒厳令がしかれ、ヘリコプターで脱出をはかるチャウシェスク夫妻と、救国戦線側の追跡を表わしている。

・(38〜45小節)4分の6拍子、前半は調号なし、後半は♭三つ。構造的には、前出の、の部分と同じだが、それに比べて、2拍多くなっている分だけ〈よたつく〉。報道機関をおさえた救国戦線側は、暫定的な政権の掌握を宣言する。チャウシェスク夫妻は、ヘリコプターの不調で不時着したところを逮捕される。12月23日に相当する。

ヲ(46〜49小節)4分の5拍子が2小節と4分の4拍子が2小節。リピートするので、8小節分の長さになる。♭ひとつ。前半5拍子の強引な4分音符の動きが後半4拍子の上行音形につながっていく。12月25日、兵営内に設けられた即席の裁判所で、チャウシェスク夫妻の裁判が行われ、直ちに銃殺刑が執行される。・およびヲの部分はフランス革命時に、ルイ16世とマリーアントワネットが脱出を試みるが逮捕され、断頭台で処刑されたことを思い起こさせる。あたかも演出家によって引用されたかのように事態は展開した。

ァ(50〜58小節)ここから先は、後奏に当たり、ほぼ1小節ごとに拍子が変わっていく。分母はすべて4分音符で、4、5、3、5、4、3、4、4、1拍子と続く。

 

 以上、わりと細かく楽曲を解説してみたが、どんなものだろうか。「語るべきは作品であって、作家は多くを語らない」という態度の方もいるが(かっこいい)、「もうやめにしとけよというほど語る」(ださい)というやつを一度やってみたかったまでである。ちなみに昨日ハイポジの練習にいく途中、車のラジオでブルックナーの4番をやっていたのだが、彼がまた結構「語る」人だったようで、番組の解説をしていたブルックナー研究者は「ブルックナーは語ることによって、かえって、彼の作品の宇宙的な深遠な世界を矮小化している」とまで言っていた。偶然とはいえ、この文章のことを考えていた私には「なんてグッドなタイムリー」(意味不明)。      

(三木黄太1997/2/25)

 1997/12/19付けの読売新聞に「『チミショアラの発砲』解明本腰」という記事がのっていた。これはこの曲の。の部分にあたるティミショアラでの発砲事件を指揮したとされる二人の元陸軍大将を、ルーマニア検察当局が、「加重殺人」および「加重殺人未遂」で起訴したという記事だ。二人のうち一人はチャウシェスク政権崩壊後の救国戦線で内相をつとめ、もう一人はその後のイリエスク政権下で国防相をつとめたという。1996年11月の選挙で誕生した初の非共産党系政権によって8年ぶりに真相が解明されそうだという記事だ。最近の状況も書き加えておこう。(1997/12/27)

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