98年6月に発売したCotuCotuの1stCDは、かなりの枚数を用意したにもかかわらず、アーッ(“アッ”ではない)という間に完売してしまい、ゆきわたらなかった人には大変御迷惑をかけた。現在、2ndアルバムの準備中だが、2枚目になると1枚めほどは売れないだろうと思う。(理由その1:1stアルバムなので、御祝儀で買ってくれた人が2枚目以降は付き合いきれない。理由その2:1stアルバムなので内容を知らずに買った人が2枚目以降は付き合いきれない。我々のCDは、皆さん、付き合いで買っていたのか?)しかし、ここは強気で、やはりかなりの枚数を用意すると思う。
ところで、今まで作曲順に書いてきたこの「楽曲解説」だが、今回はタイムリーな話題があるので、「エリーゼの空」は次回に送って、「クレプシドラサナトリウム」である。
この「クレプシドラサナトリウム」という曲はブルーノ・シュルツ(Bruno Schulz)という作家の短編小説にインスパイアされて作った曲である。何がタイムリーかというと、今月(98年10月)の9日から21日まで、世田谷パブリックシアターにおいて、イギリスの劇団「テアトル・ド・コンプリシテ」が「ストリート・オブ・クロコダイル」を上演中だからだ。さらに先月末には、世界ではじめての「ブルーノ・シュルツ全集」が新潮社より刊行された。CotuCotuのCDデビュー以来世界を席巻していた“空前絶後のチェロブーム”に加えて今まさに“空前絶後のシュルツブーム”が吹き荒れようとしているのである。
私がブルーノ・シュルツに興味を持ちはじめたのはつい最近、今年の2月頃に、ある新聞記事を見て以来のことである。それは「シュルツ全集」の訳者でもある工藤幸雄氏がシュルツについて書いた短い文章だったのだが、その最後に、クエイ兄弟のアニメーション作品「ストリート・オブ・クロコダイル」について「シュルツ作品を映像化する試みの一つである」とふれていた。クエイ兄弟の「ストリート・オブ・クロコダイル」なら見た事がある。アートアニメーションに興味のある人ならほとんどの人が知っているであろう有名な作品ではあるが、他のクエイ作品と同様にモノトーン風(ビデオで見直してみるまで白黒作品だと思いこんでいた)で薄暗い画面にストーリー的な展開はほとんどなく、奇妙なイメージが積み重ねられて行く。この作品に一体どんな原作があるというのか。こんな興味が出発点だった。
ブルーノ・シュルツは1892年にポーランドの(当時はオーストリア領、現在ウクライナ領)ドロホビチで生まれ、美術教師をするかたわら絵画や版画の作品を発表していた。40才前後から小説を書きはじめ、30数編の小説を書き、1942年、ユダヤ人であった故に街頭でゲシュタポに射殺されたという。
シュルツ全集が出るまで日本語で読めるシュルツの作品は前出の工藤氏の訳による「現代東欧文学全集」におさめられた短編集と、短編集の一部だけだった。(実際には他に2回出版されたらしいが、地元の図書館のコンピューターで検索したら「現代東欧文学全集」だけしか出てこなかった。)それも30年ほど前に刊行された本で、なかなか手に入らないものだったが、家内が図書館で取り寄せてもらって借りてきた。それが今年の3月のことである。たまたま家具の仕事が忙しくてなかなか読めないでいる内に貸し出し期限が来て、返却してしまった。私は普段ほとんど本を読まないのだが、家内が読んだ本の話を聞くのが趣味で(安上がり)、今回もそんな感じで何となく聞いていた。が、最初に新聞で見た「砂時計サナトリウム」(原題Sanatorium pod Klepsydra)という短編が引っ掛かっていて、これで1曲書こうと思った。1曲書くなら、やはり読んでおこうと思い立ち、今度は仕事場近くの図書館に頼んで、また別の図書館から取り寄せてもらった。10日ほどして本が届いたという電話があり、アシスタントのI君に受け取りに行ってもらったのだが、彼が持って帰ったのは頼んでいた本ではなく、古めかしい蛇腹式の望遠鏡だった。それには一葉の紙片が添えられており、「御注文の本はある事情によって貸し出しできません。その代わりにこれが今のあなたに役立つでしょう。」と書いてあった。変な図書館もあったもんだなと思いつつ.....ウソ嘘。I君が持ってきたのは「クレプシドラサナトリウム」も入っている「現代東欧文学全集」。その内容は...
主人公は列車に乗って、すでに死んでいる父親に会いに療養所に行く。そこでは父親はまだ生きていて、療養所のある町に店舗を借りて生前やっていた布地屋をまたやっている。店を訪れると、どうやって調べたのか、主人公あてに本屋から小包が届いている。開けてみると注文した本の代わりに蛇腹式の望遠鏡が入っている。のぞいてみると、療養所の魅力的な看護婦と目があう。望遠鏡の蛇腹が伸びて、乗り物のようになる。それにまたがると、店に居合わせた客や店員を追い散らして町に出て行く。療養所にもどろうとすると恐ろしく凶暴な狼犬に襲われそうになる。が、よく見てみると人間だったりする。主人公は療養所の町を出ようと列車に乗り込む。そして、どこにも到着しない列車の床に座り込んで憔悴し切っている......。
クレプシドラ(Klepsydra)というのは訳者によれば、砂時計とか水時計のことで、“死亡通知”という意味あいもあるという。ちなみに英訳されたタイトルは“Sanatorium Under the Sign of the Hourglass”である。この作品は1973年に映画化されており、94年には両国のシアター・カイで、ヤン・ペシェクの演出による演劇の公演があったそうだ。アシスタントのW君はこの公演を見たという。先日、そのプログラムを持ってきて見せてくれたのだが、シュルツの絵画や版画の写真がたくさん載っていて、美術家シュルツの側面も少しだけ知る事が出来た。
さて、話を戻して、「クレプシドラサナトリウム」という曲を書こうと思ってから本が手許に届くまでに、かなりの日数があったので、実は、先に曲が出来てしまった。だから「小説を読んだ印象を曲にした」のではなく、「小説を読んだ家内の話を聞いた印象を曲にした」のがこの曲で(“「蜘蛛女のキス」方式”と呼んでおこう)、実にまわりくどい。いいかげんかも知れない。しかし、家内(浅野優子・アニメーション作家)の作品に音楽をつける時も、フィルムを見る前に、秒数とか、どんなカットか話を聞いて想像しながら作曲する事が多いので、しかも後で映像と合わせて見てみると結構雰囲気があっている(ように見える)から我ながらこの方面に才能があるのかも知れないなどと思ってみたりする。うそ嘘。いやホント。いや嘘。
シュルツの小説では、(これを書いている時点でまだ「全集」を入手していないので、ごく限られたものしか見ていないのだが)登場人物や設定が同じか、似通っていて、短編集といっても独立した物語ではなく、ひとつながりの世界での出来事のような感じである。クエイ兄弟の「ストリート・オブ・クロコダイル」の冒頭に出て来る老人が、シュルツの「死んでいるけど生きている」父親のようである。そして、主人公の人形はシュルツをモデルにしているという(シュルツの自画像や写真より若干肉付きが良く、健康そうに見えるのだが)。そういえばこの映画の音楽にもチェロが多く使われていた。
ところで、クエイ兄弟という人たちは、近作「ベンヤメンタ学院」では実写の長篇映画を撮っていたが、それ以前には、実にへんてこりんな人形アニメーションを撮っていた。その目の付け所も、かなりへんてこりんで、ヤン・シュバンクマイヤー(この人も相当へんてこりんな作風のアニメーション作家)やレオシュ・ヤナーチェク(スラブの近代の作曲家。30年近く前にELP〈ELTぢゃないよ〉がカバーしていた)などをとりあげている。ピーター・ゲイブリル(ガブリエル)のプロモーションビデオも撮っていたりするので、知らず知らずクエイ作品を見ていた人も多いかと思う。数年前に世田谷美術館で開かれた“パラレルビジョン展”(アウトサイダーアートとその周辺に関する展覧会)に行った時、1枚のアウトサイダーアーティストの絵の中に、クエイ兄弟の「ギルガメッシュ/ちいさなほうき」に登場するキャラクターを家内が発見した。こういう絵の中からキャラクターを発掘するほうもほうだが、出典を見つける家内もたいしたものである。まったくアートアニメーション作家ってやつは......。
前にふれたイギリスの劇団「テアトル・ド・コンプリシテ」の「ストリート・オブ・クロコダイル」公演は21日までなので、興味のある人は行ってみてはどうだろうか。演劇のことは詳しくないのだが、新聞によればニューヨーク公演は全日ソールドアウトで、大好評だったというので、芝居そのものも楽しみである。(私は家内と一緒に最終日に見に行く予定でいる。)
新潮社の「ブルーノ・シュルツ全集」は上下巻組みで17000円もする。「ストリート・オブ・クロコダイル」を表題にして文庫化すれば結構売れそうなのにと思う。アシスタントのW君は、友達を通して安く買えるかも知れないというので、注文してもらったのだが、まだ手許に届かない。明日あたり、W君が注文した本の代わりに望遠鏡の包みを抱えて仕事場に来るはずである。
(1998年10月14日 三木黄太)